2 September, 2010
分析すると、びっくりするほど行動範囲が狭いことがわかった。
これは、バイクを主にゲタ代わりに使っていたからである。
それでも、初代戦闘機(50cc)は1年数ヶ月で10,000Kmを達成したのだが。
(やはり、走りまくる傾向は当時からあったのだろう。)
甲府駅を基点として、方角毎に記述する。
高々、半径150Km圏内である。
現在、青森や秋田で爆走するぞぉ、なんて騒いでいる自分とは、別の人だったのだろう。
宿泊したことは一度もなし。
対照的に、福島県白河市で、一緒に合宿免許に行ったT田殿は北海道に行ったと聞いた。
北海道に興味はなかったが、最近は気になっている。
次に、クネクネ道はどうかというと、気が向いたら走ってみる程度だった。(具体的な道は、次の機会に記述する)
周りに、そういう人がのがいなかったのが理由の一つ。
もう一つは、やはり周りに、「できる限り、来た道を戻って帰らないという」というポリシーがあり、それに影響されたためである。
行ったり来たりはしないということだ。
変な影響のなかで、ガソリンは「日本石油で入れるべし」というのもある。どういう根拠であったが思い出せないが。
というわけで、自動車やバイクに対する取組みの方針は、この時期に形成されたことがわかる。
若いうちから…、言うまでもなく今でも若いが(29歳になってから年を取らないことにした)、マスタァのような達人から指導を受けていたら、上達は早かったんだろうな。
お世話になるまでは、ただバイクに乗っかっていただけ、という程度であった。
これからもスキルアップにハゲむぞ。
(山梨からだいぶ脱線した。汗)